う な ぎ 物 語

 

 うなぎ食用の歴史は非常に古く、縄文時代の遺跡からの出土例が報告されています。
 また、うなぎの豊かな栄養については奈良時代のころから知られています。

 

 

 

う な ぎ の 一 生

 

 うなぎは全世界に18種類生息します。
 うなぎの卵は、日本から2000キロ離れた
マリアナ諸島付近の海中で浮遊しながら孵化し、体長約3ミリの浮遊生活に適した柳の葉のような形の透明な稚魚レプトケファルスになる。2日に1ミリ成長し、体長60ミリ程度で変態して、シラスウナギになる。しかし体はまだ透明ままです。変態後に黒潮にのり、孵化後3〜6ヶ月で沿岸に到着すると、河川を遡り、数年間で60から80センチの青黒い成魚になる。そして淡水域で5から12年過ごしてから、産卵のため再び遠く外洋の故郷を目指して旅立つ。
 うなぎはヌルヌルしてつかみ難い。皮膚が多量の粘液で覆われ、一見ウロコが無いように見えるが、じつは皮下に小さな丸いウロコを持つ。ヌルヌルはウロコの変わりに身を守るためのもの。海水と淡水の塩分変化に対応するのに役立っています。

 

 

食  用  史

 

 うなぎが一般の人に食べられるようになったのは、江戸元禄時代以降のことです。
この時期には、うなぎ、どじょう、寿司、天ぷらなど多くの料理の基礎が確立されましたが、その中で最も人気の高い料理がうなぎだった様です。
 江戸時代後期、蒲焼のたれに味りんが使われると共に嗜好が大きく変化しました。たれに味りんの甘さを加えることで蒲焼の味、香り、照りが格段に良くなり、現在の風味に一歩近づいたわけです。
 こうして独自の味付けを確立しつつ、蒲焼はうなぎ料理の代名詞となったわけです

 

 

土 用 丑 の 日

 

 土用丑の日にうなぎを食べる習慣は、江戸時代後期に始まったと言われます。
 きっかけは、はっきりしませんが、
大田蜀山が、名代うなぎ屋の依頼で土用の丑の日のうなぎは、食あたりしないと宣伝したからとか、平賀源内がうなぎ屋に看板を頼まれ、たまたま土用丑の日だっちので「本日土用丑の日」と大書きしたところ、高名な先生の言うことだから土用丑の日とうなぎの栄養が関連していると思いこまれたからとか、諸説伝わっている。

 

 

き  も  吸

 

 江戸時代、うなぎの汁物としては、すまし汁と味噌汁の両方が使われ、すまし汁には焼きうなぎ、味噌汁には筒切りにした生うなぎを具として用いたことが記されています。しかし、今や当たり前になっているきも吸についての用例は見あたりません。
 うなぎのきもが吸物の具として食べ始められた時期ははっきりしませんが、利用された理由としては、うなぎのきもが身に比べて脂肪が少なく汁物の具として適していたことが考えられる。

 

 

た  れ

 

 たれは、かば焼のうまさを左右する大事な決め手となります。そのために古くから専門店は、独特の製法による秘伝の味を守り続けています。
 また、かば焼は
たれ瓶の中で付けだれをするので、毎日の調理を繰り返すことで、たれにうなぎのうま味がとけ込んで、こくのある調和のとれたうま味をかもし出します。沢山のうなぎを焼き上げる店のたれが美味しいと言われるのはこの為です。
 写真は、当店の
たれ瓶です。奥が新しいたれを足す瓶で、一番手前が「冨久家」創業より60余年、守り通した「古伝のたれ」です。

 

 

粉  山  椒

 

 本来、薬味は料理の仕上げの用紙を引き締める上で大切な役目を持っていますが、とくにかば焼きのたれの香りと、山椒のすがすがしい香りとの組み合わせは、風味をさらに引き立てる物として欠かせません。
 また、味の面だけでなく、消化吸収を高める
胃酸の働きを活発にさせる作用があり、さらに、山椒の成分には不飽和脂肪酸アミドが含まれ、血液をきれいにする解毒作用があります。

 

 

井  戸  水

 

 井戸水と言えば、活鰻(生きたうなぎ)を扱う店では、なくてはならない重要な物で、生きたうなぎを2〜3日井戸水でしめ、うなぎの臭味をぬいて調理します。
 当店の井戸水は、沼津市内で井戸水の汚染が騒がれた時、沼津市水道部に水質検査をお願いしました。
 その結果、(写真は検査結果です)柿田川の水質と同等の物とのお墨付きを頂きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

ホ ー ム うなぎ物語 うなぎの超能力 お店紹介 御品書